私には、人生の指標になっている言葉がある。
「一度の人生、泣くより笑うぜよ」
とあるゲームのキャラクターの言葉だ。
どんな経緯で、その言葉を言われたかは覚えていない。
でも、この言葉に出会った大学生とき。
とても、衝撃的だったことを覚えている。
それからというもの私はこれ胸に生きてきた。
たった一度の人生なんだから、
笑顔になれること
楽しいことをやったほうがいい。
やりたいことに忠実に。
やりたいことをやっていれば、それは経験になって
いつか繋がる。
だからそこに
一貫性はなく
主義主張もなく
理想もなく
ただ「私がやりたいから」という理由だけで
やりたいことをやっていた。
「やりたいことがあるだけ、まだいい。」
そう思うかもしれない。
確かに、友人からも
「やりたいことがあるっていいよね」とよく言われる。
でも、本当にそうだろうか?
確かに、
さっきの言葉を指標に、行動を選択しているのは私だ。
そうしようと決めたのも、私自身。
けれど、
何も考えず、やりたいことをやっているだけなら
子どもと変わらない。
嫌なことはやらず、
やりたいことだけやる。
大抵の大人は、ちゃんと我慢して、嫌な顔せずに仕事をしているというのに。
嫌だと思ったことを耐えることができない自分。
無理だと思ったらすぐに関係を切ってしまう自分。
正直言って、情けない。
だって、
周りの大人が、友人が
当たり前にできていることができないんだから。
でも、私の人生の指標は
「一度の人生、泣くより笑う」
だったから。
我慢したくなかった。
笑っていたかった。
そんな子どもっぽい考えが
何にも繋がらず、
不安と焦燥へと繋がる道だと知らずに。
◆
「(やっと終わった…)」
パソコンの画面には「内定のお知らせ」。
私は一人暮らしの狭い自室で、天井を仰いだ。
1年にも及ぶ就活は、たった1つの内定で、幕を閉じた。
定通知を送ってきたのは、関西大手の塾。
とにかく就活を終えたかった私は、すぐに承諾した。
内定後、企業から来るメールが毎回夜の10時過ぎということは見て見ぬふりをしていた。
とにかく、終わりたかった。
そこに、私の「やりたい」という気持ちは欠片もなかった。
それが、まずかった。
◆
◇
「(ここから飛び降りたら死ねるなあ…)」
けたたましい音をたて、電車が通り過ぎていく。
入社して3か月も過ぎない頃。
ホームに立つとそんなことを考えていた私は、
いつも線路に吸い込まれそうになる自分を抑えることに必死だった。
12時間労働は当たり前、
20日以上の連勤も普通。
つかの間の休日も教案作りですべて消えていく。
自分の時間が全くなかった。
病んでいく先生たちを見て、
死んだ目をして働く先輩たちを見て
自分もああなるのかとボンヤリ考えていた。
自分は、なんでここにいるんだろう。
何を、してるんだろう。
もともと、たまたま受かった会社。
ただひたすら辞めたかった。
「3月いっぱいで、辞めさせてください」
結局、1年後には、辞めた。
社会人1年目のキャリアは、そこで途切れた。
繋がらないキャリアが、ひとつ、できあがった。
◆
「やりたいことと向き合おう」
仕事を辞める間際に私は、そんなことを思った。
私はとある漫画の影響で、大学の時ヨーロッパへよく旅行に行っていた。
それもあって外国にかかわる仕事をしたいという気持ちはあった。
あわよくば、外国で働いてみたいという気も。
それが、その時の私の「やりたいこと」だった。
「外国にあこがれるなんてかっこいい」
「私にはできない」
「やりたいと思っても外国まで行こうと思う実行力がすごい」
友人たちはそんなことを言ってくれた。
でも、そんなことはない。
すごいことなんて、何もない。
私にしてみれば、ちゃんと社会人として1年やり遂げ、
そのまま働き続けていることのほうが、
よっぽどすごい。
なにせ、私は「子ども」だから。
嫌なことは、できないのだ。
ただのワガママ。
友人はみんな、ちゃんと「大人」になっていく。
私だけ、レールを踏み外していった。
◆
塾の仕事の隙間を縫って、何か外国に関わる職はないものかと探していた。
そこで見つけたのが「日本語教師」という職業だった。
外国人に、日本語を教える。
日本語なら自分の国の言葉だし、なんとかなる!
そんな軽い気持ちで、日本語教師の養成講座に通うことに決めた。
塾講師時代に貯金はしていたものの、生活費も欲しい。
バイト代で一人暮らしは正直しんどいので、私は実家に戻った。
大学や高校の友人は、軒並み一人暮らしをして働いていた。
ちゃんと社会人として自立して。
親に頼らず生きている。
私の中に小さな劣等感が生まれた。
やりたいことやって生きる
そんな生き方を選択したのは私なのに。
ずいぶん自分勝手な話だ。
◆
地元に戻り
塾講師や、パソコンのインストラクターのバイトをしつつ
養成講座に2年近く通った。
そして、養成講座が終わるとすぐに、ベトナム行きが決まった。
半分意地だ。
しっかりとキャリアを積んでいる友人たちと違う道を取って、
やりたいことをやって生きている私の。
外国で働きたいと思ったんだから、
働くしかない。
結果的に、ベトナムでの生活は私の人生の転機だった。
明るいほうに道が開けた?
まさか。
うっかりあるものに出会ってしまい、
親に借金
好きなことは一切できない
ひらすら暗い日々だった。
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